仏事の解説:詳細 (葬式・中陰法要・お墓)

葬式

何故葬式をするのか・・・真宗の葬儀の意味

1・真宗の教えから

  • 1・諸行無常
    三界は安きことなく、諸行は無常なり盛んなるものはついに衰え生あるものは必ず死に帰すことに死の縁無量にして人の命のはかなきことは夢幻のごとし。と仏教は説いています。しかし私たちは
  • 2・真実を知らない無知が苦の原因
    誕生以来、変わらない自己があり続けるかのように思い込んでいます。
    そのために自己が滅びる死を恐れます。生老病死を思い悩む苦が生まれます。
    この苦悩は、無常の道理を知らない無明=無知から生まれる苦しみだと、お釈迦が明らかにされています。 これを煩悩といいます。
    この原因である煩悩の無明の迷いがあるかぎり、私たちの日常生活はすべて迷いを作り出す行為の連続となります。
    迷い思いがヽ迷いの行為を生み出し、その結果、苦悩の生活を果てしなく繰り返させていきます。これを流転輪廻といいます。
  • 3・不断煩悩得涅槃
    煩悩の迷いの人間の知恵では、自分が今迷っていることを自覚することはできません。 
    仏の智慧の光によって自分の姿があらわになり、自分の姿に気づいたときに、自分が迷っていることを、自覚することができます。
    そして「永遠に変わらない私」として執着すべきものは何ひとつなくなっていきます。
    その時、迷いの知恵でしか捉えられなかった生き方が仏の智慧によって転じられ、道理にかなった生き方が恵まれます。
    これが、大乗仏教が示している迷いを越える道です。煩悩のとらわれの束縛から解放されていく生き方です。
  • 4・浄土への道
    私たちは死から逃れることができませんが、懐かしき人との別れの悲しみの根拠となった「死」という現実に向き合い,死は敗北でもなく、終りを意味するものではないことを理解しなければなりません。
    そして「念仏して浄土に往生する」というみ教えによって,「死への恐怖や不安」のとらわれから解放されて、この愚かな私でも浄土に往生できるという「喜び」と「仏への感謝]へと心が転換されて、これからの残り少ない人生に「生きる勇気」と「心の安心感・穏やかさ・希望と歓び」を得ることができていくことを確認していくのが浄土真宗の教えです。

2・葬儀の意味をしっかりつかもう

  • 1・人生最後の大切な別離の儀式ですから、厳粛に執行しなくてはなりません。
    葬儀は「愛別離苦の涙のうちに、人の世の無常を観じ、亡き人をしのびつつ、阿弥陀如来のお働きで、亡き人人は清浄光明のお浄土に往生して、尊い仏さまになられたことへの感謝」の仏事です。故に、葬儀は亡き人に対する追善回向(死後の善き世界を願う)の仏事や単なる告別式〈お別れ会)ではなく、また、誤った迷信や世俗の風習にとらわれないように心がけねばなりません。
  • 2・日頃私たちは、「誕生以来、変わらない私があり続ける」と思ってますから、死は忌み嫌われるものでしかありません。したがって、亡き人との別れはつらくて悲しく、苦悩に満ち、亡き人の死は極めて受け入れがたいものです。私たちは、葬儀を通して、【死】に向き合い。亡き人の声なき声に耳を傾け、「限りある命をどう生きて行くか」が問われています。葬儀は、亡き人との別れを機縁として、私たちが、仏法に帰依て、本願の念仏の働きにより、お浄土への道を歩み、命尽きたときに浄土に往生できることを確認し感謝する大切な聴聞の場なのです。したがって、僧侶は、かけがえのない、愛しき人を亡くされた遺族の方々の悲しみに寄り添い、その声に耳を傾けて、その悲しみを癒し,和らげ、悲しみを越える道があること、希望があることを浄土真宗のみ教えを通して、説いていかねばなりません。
  • 3・浄土真宗のみ教えは「浄土に往生する」という考え方に基き「亡き人も遺された人も、命尽きるとき、この娑婆世界の悲しみや苦悩を離れ、光り輝くお浄土にお往生して,尊い仏さまになられ、そして亡き人々と再び出会える歓びがある」ということを真実のお経を通して説いておられます。従って、浄土真宗の葬儀並びにそれに続く法要への一連の仏事は、『人は死から逃れることができませんが、愛しき人との別れの悲しみの根拠となった「死」という現実に向き合い、死は敗北でもなく、終りを意味するものではなく、「念仏して浄土に往生する」というみ教えが「悲しみを越える道があり」「希望と期待」を与えてくださり、「死への恐怖や不安」や「無気力・絶望・悲嘆」のとらわれから浄土で成仏できる「喜び」と「仏への感謝」の心へと転換されて、「生きる勇気」と「心の安心感・穏やかさ・希望‣歓喜」を得ることができていくことを確認していくのが浄土真宗の葬儀をはじめとする一連の仏事行事の大事な点です。

臨終勤行(枕経とは言いません)

  • 臨終から一連の葬儀についてすべて同様ですが、浄土真宗本願寺派の仏事は、如来様に勤行(ごんぎょう)するものであり、同様に、手を合わせる合掌、称名念仏も如来様に、そして仏になった愛しき人に、行うものであり、今は亡き人のご遺体や遺影に対してではないことを理解しましょう。
  • 勤行はお仏壇のご本尊に対してあること。
    それは、亡くなった、いとしき人の人生の終わりに臨んで、永年お育てにあずかったご本尊に対するお礼のお勤めです。
  • お仏壇の扉を閉めないこと
  • 仏壇がない場合には、お寺からご本尊をお借りして、そのご本尊のそばに、ご遺体を安置します。
  • お仏飯(おぶっぱん)を仏壇にお供えしましょう。(故人のお茶わんには盛りません)
  • 灯明(おろうそく)は灯して、香をたいて、仏華は樒(しきみ)や常緑樹をそなえる。
  • 打ち敷は白色にする。
  • 病院や葬儀場にご遺体を安置する場合にも上記を参考にしてください。ぜひ最低でもご本尊はおかけしましょう。
  • ご遺体は清浄にして、白布でお顔を覆います。着物は白衣を着用しますが、着物を左前にしたり、逆さ着にはしないでください。迷信です。
  • 両手を胸元で合掌して、念珠をかけてください。海門寺の門信徒の方が亡くなった時は、式章もかけてください。
  • 釈尊が入滅した時にならって、北枕が理想ですが、方角にこだわる必要はありません。
  • 布団の上に魔よけの刀などは置かないこと。迷信です。

通夜勤行

  • 1・通夜は、一般的には葬式の前夜に行われます。荼毘(だびといい火葬のことです)にする前の一晩を、故人と夜を通して過ごすことから、通夜といいます。その意味から、通夜は、遺族・親族・故人と緑の深かった人たちを中心に、心静かに別れを惜しむ気持ちでつとめたいものです。
  • 2・ 昔から、人の死に対して相反する二種類の感情がありました。
    一つは、亡くなった人に対する追慕(ついぼ)の情であり、
    もう一つは、「死」 に対して忌み怖れる考え方です。
    しかし、浄土真宗では、亡くなった方を決して忌み怖れ、けがれた者として扱うことがないようにしなければいけません。
    かけがえのない方の死を通して、お念仏の御縁に出遇わせて頂くことが大切です。現在では、葬儀にまつわる様々な風習があり迷信的なものが多くあります。
  • 3・故人はもはや浄土に往生しています。
    つまり、旅する暇なく阿弥陀様に抱かれて、浄土に救いとられています。
    したがって冥土のへの旅支度「三角頭巾・手っ甲・脚絆・経帷子・枕団子」は必要ありません。冥福を祈る必要もありません。
  • 4・葬儀の日取り
    「友引」の日に葬式をすると;友を引く;と言って身内がなくなるからとしない方がいますが、これ六曜から来た仏教に無関係な占いです。ゆえに気にすることはありません。

 

葬儀の勤行 (告別式とは言いません)

  • 1・ 葬式は、故人が茶毘(だび)にふされるに際してつとまる大切な儀式です。
    残された遺族や縁の深い方にとっては、かけがえのない方の死を通して偲ぶとともに尊い仏縁をいただく法要として、特に厳粛な気持ちでつとめましょう。
  • 2・分骨を希望する場合は、あらかじめ住職と相談し、葬儀社に依頼しておくことが必要です。
  • 3・誤った「弔辞」の書き方通して「浄土真宗」の考え方を学びましょう。
    :弔辞:
    「謹んでご霊前に申し上げます。本日、××〇〇様の告別式において、〇〇様の魂を偲びて、その業績を讃えたいと思います。
    〇〇様は明治維新に生まれ、大正・昭和・平成と人生を歩み、まるで生きた歴史の教科書のように貴重な人でした。誰にでも好かれ、その人格は尊敬されるものでした。
    その〇〇様が戒名▲▲を頂き、永眠してしまうなんて私はひどくさびしい思いです。
    幽明(ゆいめい)境を異にしてしまったからには、ぜひ草葉の陰から私たちを見守ってください。〇〇様の魂が天国に行けるように供養していきたいと思います。どうか安らかにお眠りください。冥土でのご冥福をお祈りしたします。
    黙念・合掌」
    :添削弔辞:
    「謹んで''ご仏前に申し上げます。本日、××〇〇様の葬儀において、〇〇様を偲びて、その業績を讃えたいと思います。
    〇〇様は明治維新に生まれ、大正・昭和・平成と人生を歩み、まるで生きた歴史の教科書のように貴重な人でした。誰にでも好かれ、その人格は尊敬されるものでした。
    その〇〇様が法名▲▲を頂き、浄土に往生されて、私はひどくさびしい思いです。
    みほとけの国に生まれ尊い仏様になられて、お浄土からぜひ私たちをお導きください。ここに故人をしのんで、深く哀悼の意を表します。合掌・礼拝」
    真宗では使わない言葉
    1・霊 2・魂 3・永眠する 4・草葉の陰から 5・天国 6・安らかに眠る 7・冥土と冥福 8・戒名 9・供養

法名

1・法名は死んでからつけるものでしょうか。
僧侶は得度して、法名をいただいています。本来法名は仏教に帰依した人の名前なのです。つまりお釈迦様の弟子となって念仏者として生きていく証として浄土に往生できる者の名前です
よって生前にいただくものです。それを帰敬式と呼んでいます。本願寺の門主様から直にいただきます。それがかなわずして命尽きたときには、門主様に代わり、住職からいただきます。それゆえ,今は、ほとんどの場合が、葬儀の時に住職から法名をいただき、お釈迦のお弟子となって、浄土に往生して尊い仏様になられた、尊い名前です。

2・法名と戒名は違います。浄土真宗本願寺派では戒名とは言いませんので、ご注意ください。もともと戒名は、自分の力で滝に打たれたり、千日回峰のように、悟りを得るために厳しい戒を受けて修行した人に与えられるものです。しかし若いときにはいざ知らず、そのような修行を続けるような能力を、私たちは、ほとんどの人が持ち合わせてはいないようです。浄土真宗では、阿弥陀様はそのような凡夫を憐れみて、願いを建てられて、南無阿弥陀仏ひとつで、法(道理・自然の法則)にかなった生き方をいただき、仏にならせていただきます。したがって、戒名とは言わず、法名といいます。

3・浄土真宗本願寺派では、法名はすべて三文字です。
「法名 釋○○」です。
「釋」の意味は、お釈迦様の弟子ということで「釋」の字をいただきます。
親鸞聖人はご自身のことを「愚禿釋親鸞」と呼ばれています。すなわち「釋親鸞」の上に「愚禿」とお付けになっています。これはとても意味が深いことを表しています。私は「愚禿釋親鸞」という法名で浄土真宗本願寺派の教えをすべて語っていると思っています。
すなわち、わが身は、この現世では、煩悩にまみれてまことに愚禿=頑固で愚か者であることに、念仏の仏様の智慧と慈悲の光で照らさて、気づかされて、目覚めることができました。これからのわが人生は、念仏にお育てを受けながら、お浄土への道を歩み、命尽きたときには、阿弥陀様のおはたらきで、尊い仏さまの弟子(釋)の(親鸞)とならせていただきます。ということを表しています。

4・昔は法名に女性の場合は「釋尼・・」としていましたが。浄土は男性も女性もない差別ない世界であることから、今は「尼」という字を、できるだけつけないように本山から勧められています。

納棺尊号

  • 1・納棺尊号とは、葬儀の際に、白い紙に「南無阿弥陀仏」の名号が書かれたものです。海門寺の場合、葬儀の際に、「南無阿弥陀仏」の名号を納めている、納棺尊号と書かれた白い紙の封書を遺族の方に手渡しています。そして出棺の際に納棺します。
  • 2・この納棺尊号の考え方方ですが、浄土真宗の礼拝の対象はいつでも、どこでも、亡くなった故人ではなく、「南無阿弥陀仏」です。それゆえ納棺尊号は
    ①命尽きた時、南無阿弥陀仏の本願の船に乗って、必ず浄土に往生できる確信と感謝
    ②火葬場へ運ぶ時、霊柩車に棺を乗せるとき、火葬場に着いての炉前でのお勤めの際、ご本尊がありません。このような時私たちは、ご遺体に手を合わせているようですが、実はそこには納棺尊号があり、阿弥陀様に合掌している姿になっているのです。ですから、ご遺体を通して、阿弥陀様への感謝の気持ちがふつふつと起こってきて、安心して葬儀が務まるのです。

出棺の際の迷信に迷わされないように

  • 1・出棺の際に浄土真宗本願寺派は絶対に
    ①くぎ打ちはしない
    ②清めの塩を使わない
    ③棺をぐるぐる回さない
    ④来る道と還る道を変えることはしない
    ⑤故人の茶碗を割らない
    これらはすべて死者を不浄のものという考えからきているからです
    浄土真宗本願寺派の教えは「この世で阿弥陀さまの願いによって救われて、いのち尽きたとき、お浄土にお連れ下さり悟りを開き、尊い仏にならせていただきます。故に死を不浄に思うことなく、霊やたたりの迷信に迷うことの無い身にさせて頂いているのです。

中陰法要(49日法要)

  • 1・中陰法要や法事はグリーフ・ワーク
    あるキリスト教の牧師が、日本の仏教には素晴らしいグリーフワークがあるといわれたそうです。グリーフワークとは亡き人を失って悲しむ心を乗り越えていく精神的な回復のプロセスです。詳細はグリーフワークを参照してください。
  • 2・火葬の後、遺骨が家に帰ってくると還骨勤行を務めます。遺骨は中陰壇に安置します。ご本尊をかけましょう。お水はお供えしません。
  • 3・命日から数えて七日目を初七日。つぎの七日目を二七(ふたなぬか)以後、三七日 四七日 五七日 六七日というように七日(なぬか)ごとに務める法要を中陰法要といい、最後の七七日(なななぬか=四十九日)を満中陰と言って丁重にお勤めします。
  • 4・中陰法要および法事を務める大事な点
    亡き人を案じる私が亡き人から案じられている
    ということを理解しなければなりません。
    中陰法要は亡き人の死の悲しみの中から亡き人の面影をしのびつつ、諸行無常の道理に気づかされて、この悲しみを縁として、人生のよりどころとなるお念仏の教えを聞き、阿弥陀さまと仏になられた愛しき人への報恩感謝の念を深め、私たちが命尽きたとき、往生浄土の素懐を遂げて、倶会一処の喜びをいただく。
  • 5・法要や法事は死者への供養ではなく、自分の生き方が亡き人から問われていることなのです。 
  • 6・中陰法要の日程
    迷信で49日が三月にまたがるとよくないといわれて、日程を変更する人がおられますが、これは「始終苦が身につく」という単なるごろ合わせです.心配することありません。
     

お墓と迷信

1・お墓について
浄土真宗においてお墓は、ご先祖様や故人を偲び仏縁をいただく場所です。
ご先祖さまに感謝しつつ、いのちの行き先が浄土であることを再確認する場であり、先祖の霊を追善供養するものではぁりません
そのためお墓に塔婆を立てません。
また、新しくお墓を建てた時に他宗派では「開眼法要(魂入れ)」を行いますが、浄土真宗では魂入れをしないので「建碑法要」を行います。

2・浄土真宗のお墓を建てる心得
墓は故人の遺体、遺骨、その他の遺品(髪、爪など) を納める記念碑と考えたほうが良いでしょう。
昔からお墓のある家庭はしばらくおき、新しく墓碑をおたてになる方々のためにその心得を簡単に説明します。
 

  • 近年、一般の社会で流行している墓相学なるものは全く迷信です。
    たとえば:ご先祖の霊を慰めるもの。墓には先祖の霊魂がいるいる。
        方角や白い斑点が有ると家の者の頭にカビが生える。
    3・お墓の意味は
    お墓は故人をしのび、私たちの命のはかなさ(無常)を通して阿弥陀様の大きな慈悲に気づかさせていただく御縁の場所です。
    お念仏の教えをいただいて人はすべてお浄土に生まれ阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただきます。

念仏者は迷っていることはあり得ません。
ゆえに、「真宗信者は昔から:門徒もの忌みしらず」と言われて  います。

建碑式(お墓の建立)

1・墓碑の形式
自由です。定まった墓碑の形式はありません。

  • ①但し一般には、00家の墓のような碑名が多いようですが、浄土真宗では、出来れば正面に六字尊号(南無阿弥陀仏)または倶会一処(出典:阿弥陀経・浄土でまたお会いしましょう)と彫ることが望ましいとされています。正面が六字尊号の場合、一段下の石に00家の墓と刻めばよいでしょう。
  • ②正面が六字尊号でない場合は、墓参に際しては懐中名号(懐に入れる小さな阿弥陀さま)を持参して、それを適当な場所に安置して礼拝いたしましょう。

         

  • ③他宗派では「霊標」を見かけますが、「霊標」は浄土真宗には用いられない言葉です。「法名碑」あるいは「00家倶会一処」が望ましいと思われます。
  • ④墓碑が完成すると、適当な日に(日に良否・吉凶はありません)建碑法要(落慶法要)を墓前で勤修します。その際お骨を納める、納めないは、自由です。
  • ⑤建碑式
    お墓に性根を入れるためにお経をあげているのではありません。
    「お墓」や「お仏壇」に魂を入れるという考え方は真宗は絶対にありません。
    「真宗の考え方は『亡き人を案ずる私が亡き人から案じられている』ということです。
    すなわちお墓は故人の遺徳をしのび、私たちに、かけられた故人の願いを聞かねばなりません。
    お墓やお仏壇や法事はそういう御縁に合わせていただくお勤めなのです。
    私たち念仏者はなくなると同時に、浄土に生まれます。そしてお浄土で阿弥陀さまと同じ悟りを開かせていただきます。

    ゆえに私たちのほうから、仏さまに向かって成仏したやろか?とかどこに行ったのやら?故人の魂はどうだろとか、ああせよとか、いろんなことを心配しますが、心配されているのは、私たちのほうであることに気づかされることが、この私の人生で一番大事です。

2・墓碑の選び方

納骨について

お墓を継ぐことができない人は