一流章の意味するこころは二種深信の意味を心得るなり

自力無効 弥陀託法

わが歩ませていただく道は自力無効、すなわち人間の努力や修行はお浄土に仏として生まれさせていただくにに何の力にもならない。
もつぱら如来様の仰せにうなづき、お任せさせていただく道であります。これは本願力にお任せすることであります

法話 一縁会より

     『そのまま救う』

母が阿弥陀さまのお手を煩わせて、お浄土に生まれさせていただきました。
母は裟婆世界での生きざまを通して、私に教えてくれたことがたくさんあります。貧欲、瞑意、愚痴の煩悩をまるがかえしたまま、他人のことは気にせず、どれほど多くの方々を傷つけたことか、自分さえよければという自分中心の生き方でした。

 自分の思うようにならないから愚痴なのでしょうか「もう、死にたいわ」という。
「ふ~ん、そうなん。死にたかったら死んだらいいが、だけど自分はよう殺さんでな。殺人罪になるのはいややで」と伝える。
そして「ところで死んだらどこへ行くの」と問うと、しばらくして「そおやなあ、どこへ行くんやろなあ」と返答が返ってくる。
「行き先がわからんようでは、当分死ねやんで~」と伝えたこともありました。

 九十四歳まで生き、聴聞の時間はあったはずですし、それなりにお育ていただいていたと思いたいのですが、自分が死ぬ、自分自身に起こつてくる現実を受け止めることができなかったのです。
聞くことの難しさ、素直に受け止める難しさを知らせてくれたと思います。

 煩悩多く、迷い続けるままの身を阿弥陀さまのお救いで、お浄土に生まれさせていただけたことを有難く、うれしく思っています。
そして、阿弥陀さまのおはたらきは、煩悩のさまたげにはならないとお示しの「不断煩悩得捏架」のお言葉を聞かせていただきました。

 いかり、そねみ、ねたむという煩悩が次から次と出て、消えることなく続いています。
私の人生を「そのままでいいのだよ。そのまま救いとらずにおかないからね」と、あたたかく見守り、包み込んでくださる、仏さまのおはたらきの真っ只中に生かされています。
うれしいことでございました。(澗 信澄)

''